「脊髄梗塞です。再び歩くことはできないかもしれません」―。医師からの突然の宣告に号泣した9年前のあの日、「歩けなくてもいい。踊り続けたい…」。そう願い続けた思いが奇跡を起こし、プロダンサーとして再び華麗にステップを踏む浜本まり紗さん。ダンスに寄せる情熱で人生最大の試練を乗り越えた今、すべての人にダンスの持つ魅力とそのパワーを伝えるため、全米初となるプロの車いす社交ダンスカンパニー「Infinite Flow」を設立した。 【取材=中村良子】 物心付いたころから音楽に合わせ体を動かすことが好きだった。6歳からクラシックバレエを習い、ニューヨークシティーバレエ団の公演を見た時、「世の中にこんなに美しいものがあるのか」と、幼心に美への憧れが芽生えた。 16歳でワシントンDCにあるエリートバレエ学校「キーロフ・バレエ・アカデミー」に合格するもののレベルの高さについていけず他校に転入。卒業後はノースダコタ州のバレエ団を経て、著名バレエダンサー、ラスタ・トーマス氏のコーチに指導を受けたが、けがとオーディションになかなか合格できない挫折感からダンスを断念。学業に専念するため、03年に慶応義塾大学環境情報学部に入学した。 踊るために生まれた ダンスが頭から離れる日はなかった。街中でダンス公演のポスターやバレエ教室を見かけるたび、ダンサー精神が騒ぎ出す。大学でのレポートや研究プロジェクトもダンスをテーマに発表した。たまらず駆け込んだスタジオでコンテンポラリーを習うと、水を得た魚のように体が喜ぶのを実感した。小澤征爾氏指揮のオペラ「エレクトラ」をはじめ、著名振付師の平山素子氏や山崎広太氏の公演など、ダンサーとして日本のさまざまな舞台に立ち、ダンスを通じ日米の違いや日本の文化を学んだ。 「自分は踊るために生まれてきた」。そう思えるほど充実していた日々が、2006年7月26日、突然崩れた。 いつものようにスタジオで練習していると、突然左肘にしびれを感じ床に倒れ込んだ。体の感覚がなくなり、首から下の機能がまひ。検査の結果、脊髄の動脈がふさがって起こる非常にまれな病気、脊髄梗塞と診断された。 「特効薬はなく、再び歩くことはできないかもしれません」と言われ、歩けないということよりも、もう踊れなくなるかもしれない、自分を表現できる場がなくなるかもしれないことに泣き崩れた。 寝たきりの状態でも、頭には踊り続ける自分の姿があった。体は動かなくても、バレエで鍛えた筋肉の動かし方を何度も繰り返し、脳に体の存在を伝え続けた。「たとえ歩けなくても、車いすでもダンスはできる」。ダンスのない人生は考えられなかった。 理学療法、作業療法に加え、イメージトレーニングを欠かさず行った結果、医師が「奇跡」と驚くほどの早さで身体的回復力をみせ、入院から約1カ月で歩くことができるようになった。大学にも復学し、再び踊れる喜びを感じながらも、ダンスフロアに近づくと動悸や息切れに襲われた。いつ起こるか分からない再発に不安を感じ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ、再びダンスから距離を置いた。 社交ダンスとの出会い 慶応義塾大学大学院修士号取得後、とあるイベントで老若男女が手を取り合い、楽しそうにサルサを踊る姿を見て感動し、「ここに私のダンスがあるのでは」と、ダンサー精神が再び騒ぎはじめた。 長年、バレエやコンテンポラリーダンサーとして1人で踊ってきた浜本さんにとって、リズムに合わせて体を動かすこと、またダンスを通じパートナーとの間に生まれる感性と信頼関係は新鮮だった。その後社交ダンス指導者の資格を取得、インストラクターとして日本で経験を積み、11年に地元オレンジ郡へ戻った。 パーソナルストーリーの力 ロサンゼルスでダンサーや指導者としてだけではなく、女優、モデル、振付師として忙しくする中、ABC系列で放送された「Dancing With the Stars」、またそこで共有される出演者のパーソナルストーリーに惹きつけられた。それぞれが困難や苦境をさまざまな形で乗り越え、ダンスを通じ自己表現している姿に多くの勇気をもらった。 自身の病気のことは、ごく親しい人以外、公にしていなかった。しかし、自身が他人のパーソナルストーリーに励まされるように、自分のストーリーも人に前向きな力を与えることができるのかもしれないと気付き、少しずつ過去を話しはじめた。 個人的なことを共有することは、簡単ではなかった。しかし勇気を出して話してみると、「話してくれてありがとう」「勇気づけられました」など、驚くほど反響があり、人の輪が広がった。そして話せば話すほど、「私は奇跡的に歩けるようになりダンスを再開できたけれど、そうでない人たちはどうなのか。彼らにもダンスの魅力を知ってもらいたい」と思うようになり、プロの車いす社交ダンスカンパニーの立ち上げを考える。 健常者と障害者の壁を破る 健常者と車いすのダンサーがペアで社交ダンスを踊る車いすダンス。スウェーデンが発祥といわれ、現在ではヨーロッパをはじめ、日本やアジアなどで広く普及、競技大会に加え、パラリンピックの競技種目でもある。しかし、アメリカで目にすることはあまりない。 浜本さんのダンスパートナーで、元Dancing With the Starsのプロダンサー、ブライアン・フォルツーナ氏をはじめ、車いすボディービルダーのアデルフォ・セラミ・ジュニア氏、そしてミア・シャイケウィッツ氏の4人で今年、プロの車いす社交ダンスカンパニー「Infinite Flow」を立ち上げ、非営利団体として501(c)3を取得した。 今後は、(1)地域に密着したクラスやワークショップの開催(2)地域普及のための教員養成(3)一般の人に活動を知ってもらうためのパフォーマンス―の3本柱を基盤に活動を広めていく。 自身を苦境から救ってくれたダンスをすべての人に―。浜本さんは今後、ダンスの素晴らしさ、ダンスが持つパワーをより多くの人に知ってもらい、車いすダンスを通じて障害者と健常者の壁を破りたいと願う。自身のストーリーを共有する勇気を与えてくれたDancing With the Starsにプロのダンサーとして出演することを目指し、踊れる毎日に感謝しながら、浜本さんは今日も、ダンスフロアで華麗なステップを踏む。 www.MarisaHamamoto.com
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