早春好例のアシックス・ロサンゼルスマラソン(15日開催)は今年で30回目を迎え、約2万6千人が参加し、無事に記念大会を終えた。大会には親善大使に任命され、元女子マラソン選手として五輪2大会連続でメダルを獲得(バルセロナ銀、アトランタ銅)した有森裕子さんが来米し花を添えた。【永田潤、写真も】 大会当日は90度を超す猛暑が予想されたため、主催者側は熱中症など健康を考慮し、スタート時間を30分繰り上げた。だが、気温は80度前後と心配は杞憂に終わり、ゴールまでの最後の海岸通りは、心地よいそよ風が吹き完走を後押した。 主催者は、1986年の第1回から連続出場する178人を「レガシーランナーズ」と呼んで敬い、一般参加者よりも30分早くスタートする特権を与えている。レガシーの1人で、小東京ランニングクラブに所属する樋口正子さん(73)は、30回連続の完走を果たし「今年は今までで一番しんどかったけど、どうにかフィニッシュすることができた。メダルが30個になり、満足している」と述べた。樋口さんは、節目の今大会を「けじめ」とし、「ラストラン」と覚悟を決めて臨んだ。だが、有森さんや日本から参加し交流を持ったランナーから、レガシーについて「すごい」などと、たたえられ気分をよくし「また走る気持ちが湧いてきた」という。「引退」を翻意する気持ちが強く、「有終の美」を飾るのは来年以降に持ち越されるようだ。 市民ランナーとふれあう 有森さん「楽しんで、笑顔でゴールを」 有森さんは、市民ランナーとのふれあいを楽しんだ。大会前日の朝に、日本からの参加者と当地在住の日本人ランナーら約60人とともに、ダウンタウンのグランドパークから小東京を往復する約3キロを走った。同夜には、炭水化物を多く摂取して本番に備えるパスタパーティーに参加し、現役時代の逸話を紹介したり、ランニングやトレーニング方法、レース(給水や上り・下り坂の走法など)について解説するとともに「楽しんで走って、笑顔でゴールして下さい」とエールを送った。 有森さんは「マラソンは気持ちで走るもので、技術ではない。メンタル面が重要」と力説した。「暑い、(上り)坂が多い、人が多い、などの不平を言わない。走る条件は、参加者みんなが同じなので、レース本番は、すべてポジティブ思考にすることが鍵」とアドバイスした。 30キロを過ぎれば、誰もが苦しくなるが「周りの応援を力にして、引っ張ってもらえばいい。応援する人や他のランナーに気を配りながら走り、『ありがとう』という気持ちを忘れないでほしい」と願った。競技生活では、数々のけがに悩まされただけに「みなさんは、健康のために走っているので、無理せず、頑張り過ぎたりせず、けがや事故のないように長く、楽しく続けて下さい」と呼びかけた。 初参加のLAマラソンの印象について、女子マラソンが五輪種目に採用されたのは1984年のロサンゼルス大会からで、格別だとし「ここで始まらなければ、私はオリンピックに出ることはできなかった」と感慨深げに話した。今後も呼ばれれば参加する意志を示した。 2007年の引退以降、有森さんはフルマラソンを1度も走ったことはなくまた、練習もしていない。現役時代とは逆の応援する立場に回り「1人でも多くの人が、健康で走れるように全力で応援している」と語り、ゲスト参加する国内外の大会で、一般ランナーと5キロや10キロランを、楽しみながら走っている。 他の活動は、マラソンのテレビ解説に加え、世界規模の「スペシャルオリンピックス」というダウン症など、知的障害者のスポーツトレーニングや競技会を運営する、日本組織の理事長を務めている。4年に1度開催されるスペシャルオリンピックス世界大会は今年、ロサンゼルスで7月25日から8月2日まで行われる。そのため、今回のマラソンは視察を兼ねたといい「スペシャルオリンピックス発祥の地なので、大会を盛り上げるためにも来た」と意義を強調。大会前のイベントでは、ブースを回り、さまざまな慈善団体が参加者に活動と支援を訴える光景を目にし「チャリティーが根付いている。日本はまだ、こういうイベントが少ないので、見習いたい」と、刺激を受けた様子だった。大会当日は、スペシャルオリンピックスのチャリティーリレーランに参加し、走った後はゴール付近で応援し、多くのランナーの完走を見守った。
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