青森市から観光大使の就任を要請されていた南加青森県人会会長の奈良佳緒里さんと、南加ねぶた囃子保存会会長の豊島年昭さんが2月5日、青森市役所で行われた委嘱状交付式で晴れて着任した。同市の観光大使は両人で13人目、海外在住者では初という。 観光大使の役目は、同市の情報を発信し、魅力を積極的に宣伝することで、市の知名度の向上と観光産業の発展を図る。市長室を訪れた奈良さんは、鹿内博市長から委嘱状と観光大使の名刺が手渡された。奈良さんによると、市長から「青森のことをアメリカでPRして、良さを伝えて下さい」と求められたといい、「承知しました。青森の観光のために、豊島さんと、みんなで頑張ります」と誓った。 東京生まれの奈良さんは、亡くなった父親が青森出身という縁で、県人会に入会した。会長就任後は、帰国の度に青森を訪れ、県と市のみならず、ねぶた関連で草の根交流のための人脈作りに努めた。幼少期は、夏休みを青森で過ごしたといい「思い出がいっぱい詰まった『第二の故郷』」と慕う。青森の魅力を「古き良き昔の日本が、たくさん残っている。食べ物が新鮮で、おいしくて安い。空気もきれい」と紹介。さらに「青森の人は、みんな優しい心を持っているので、アメリカ人に自信を持って勧められる」と意欲を示す。 奈良さんは、市役所を後にしたその足で墓参したという。大使の委嘱状を墓前で披露して就任を報告し「天国の父は喜んでいると思う。(任務の全うで)親孝行ができる感じがする。私のルーツは青森。根っこに水をあげるつもりで頑張りたい」といい、ねぶた祭については「必ず成功させて、見に来た人を青森に行きたいという気持ちにさせたい」と、抱負を述べた。 豊島さんは、青森県東津軽郡平内町出身。すし職人を志して上京し8年間、腕を磨いた後、1973年に渡米。80年から小東京で、すし店を経営するかたわら、青森県人会の創設にかかわり、会長を務めるなど運営に尽力した。2007年には、ねぶた囃子保存会設立と同時に会長に就任し、LAねぶた祭を盛り上げている。今年の二世週祭で運行する、ねぶたフロートの保管場所がなかったため昨年、私費を投じて小東京に倉庫を購入した。青森県人会館として提供し、青森の情報発信のための重要な拠点として活用する。 来月、青森からねぶた師を招き同会館で制作を始める、ねぶたを「アメリカ生まれの『青森二世』と表現し「もうすぐベイビーが生まれる。みんなの力で育てよう」と意気込む。将来は、地元スタッフのみで制作する目標を掲げ「今は侍(がモチーフ)だけど、いつかはアメリカ人の顔に変わったり、カウボーイになってもおもしろい」などと、夢を膨らませる。渡米して42年が経つが、しばしば故郷に思いを馳せるそうで「僕の心の支えは、いつも青森。大自然に恵まれた故郷は、人情味があり温かくていい」と語り、観光大使としての献身を誓う。【永田潤】
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