千年に一度といわれる東日本大震災、そして福島第一原発事故から3年。道路や建物は修復され、商店やホテルも営業を再開。除染作業を進め福島への帰還政策が促進される中、震災や原発に対する世間の関心は薄れつつある。そんな中、教育現場から福島の子どもたちを見つめ続けた元小学校校長の宍戸仙助さんに、子どもたちの現状や苦悩、また伊達市が取り組み、県に推奨している移動教室などについて話を聞いた。
【取材=中村良子】
福島県南部の矢祭町立東舘小学校から、北部の伊達市立富野小学校に転勤する直前、震災が襲った。4カ月遅れで着任した富野小では、教頭らと交代で毎日校舎の周りをスピードスプレーで除染。窓は閉め切られ、屋外活動は中止。長袖にマスク姿の子どもたちから笑顔が消えた。
伊達市の湯田健一教育長から「子どもたちを少しでも放射線から解放させ、自然の中で生活できる取り組みをしたい」との思いから、親元を離れ公共施設などに一定期間寝泊まりし、子どもたちが自分で身の回りのことを行いながら地元の学校に通う「移動教室」の提案があった。宍戸さんは、東舘小勤務時にその教育的利点から同事業の実施に励んでいたため、伊達市での取り組みに賛同。わずか半年後に、市内に21ある小学校のうち9校で実施された。
全生徒の参加を希望した宍戸さんだったが、NPOと伊達市の限られた予算での実施だったため、参加できたのは5、6年生のみ。全校生徒32人の小規模な富野小からは、7人の生徒が新潟県見附市の田井小学校へ向かった。
「放射能について語るな」
移動教室の成果は一目瞭然だった。田井小の生徒らに温かく迎えられ、同じ教室で机を並べて勉強し、給食を食べ、校庭や屋外プールで体を動かした。自由時間には草木に触れ、海岸を駆け回り、福島ではできない「当たり前のこと」を満喫した。
宍戸さんは、「子どもたちは無理をしている」と心配する。「子どもは大好きな親を思って毎日生きている。そんな親が(原発問題などで)我慢している姿を見て、文句を言える子なんていない」と、心の負担を懸念。福島では今、放射線被害についてオープンに話せない雰囲気がまん延しているという。「避難したい人はすでにしている。今、福島に残っている人は、仕事や予算の関係で避難したくてもできなかった人」
震災以来、地元を離れたのは18万人。4万人が県外へ避難したが、うち6千人が福島へ戻った。「県は除染が進み、放射線量が減ったから県民が戻ってきたとしているが、私が直接保護者などから聞いた話では、仕事のある父親だけを残して避難した多くの家族が、『これ以上家族が離れて暮すのは無理』と戻っている」と現状を説明する。
将来子どもに健康被害が出た時、「あの時に避難していれば」と思いたくないため、多くが避難を希望している。しかし県が県外避難を正式に認めておらず、支援制度もないため、「どうしようもないのだから話題にもしないで。話したところで何も変わらない」と、県民は口を閉ざし始めたという。
また県外へ避難した人の中には差別を恐れ出身地を隠して生活する人もいる。県内でも、避難指定区域から避難してきた人に対し、「あなたには支援金が出ているからいいわよね」と言った言葉をぶつけられる人もいる。「皆、ものすごい不安、ストレスを抱えて生きている」と、宍戸さんは心を痛める。
放射線避難は結果論
「先のことは誰にも分からないが、少しでも健康被害の可能性があるのなら、国は県民に選ぶ権利を与え、避難希望者には支援制度を設けるべき。言いたいことが言え、行きたいところに行けるようにすべき。少子高齢化の中、子どもたちの将来に何かあってからでは遅い」
宍戸さんは、親の顔色をうかがいながら震災当時の体験を話す子どもが多いことに触れ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)も心配する。阪神淡路大震災で被災した子どもたちが地震から3年、5年、遅い子は12年後にPTSDを発症した事例を挙げ、早急な対策を訴える。
震災前から東南アジアで子どもたちの支援活動をする宍戸さん。ベトナム戦争時のクラスター爆弾の不発弾で今でも毎年200人の死者を出しているラオス、電気や水道もなく、枯葉剤によるダイオキシンに汚染された井戸水を飲んでいるベトナム、それぞれの子どもたちを見てきた。
「あんな過酷な状況でも、彼らの目は輝いているんです。長年、それはなぜなのか追究してきました」。そして宍戸さんは、(1)家族の一員として役立っているという自己有用感(2)現実を変える力があるという自己効力感(3)世の中のために役立つという自己使命感―を、ラオスやベトナムの子どもたちは日常生活から体感しているからだと分かったという。
「あの目の輝きを、日本の子どもたちにもたらしたい。そのためには、移動教室が欠かせない。放射線避難は結果論でもいい。これからの日本を支える子どもたちの教育面から、まずは移動教室の実施を」と訴える。
福島の教訓を生かす
2012年に伊達市の小学校9校で行われて以来、この2年の間に全21校で移動教室が行われた。県内に広めるため、湯田教育長らと県や文部科学省に働きかけてきた結果、県は今年、移動教室に3億6千万円の予算を充てた。
現段階では教員の負担が大きすぎ制約もあるため、今後はボランティアや保護者の支援も得られるような制度を盛り込んでもらえるよう、さらに働きかけていくという。
現在までに日本25カ所で講演した宍戸さんは、震災から3年で風化していることに危機感を覚える。「忘れられないためには、『あの時の福島の教訓が、今の福島、日本、世界に生きている』といわれる情報を発信していかなければならない」といい、世代、時代、国、人種を超えて真実を伝える活動を続けたいとした。
NPO「Families for Safe Energy」の金子祐仁さんは、アメリカで伝えられていない被災地の現状を伝えたいと、同講演会を企画。「日本の現状を見ると、福島の原発事故がなかったかのような方向に進んでおり、現地の声を拾って広げていかなければという使命感が強くなった。原発反対、福島は危険という声も大切だが、ストレートすぎるやり方では聞く耳をふさいでしまう人が多いのも事実」といい、教育者という立場から福島の子どもたちの現状を発信している宍戸さんの活動に意義を感じたという。
宍戸さんは今回、南加とアリゾナ州のミドルスクール、高校、大学など計6カ所で約500人に講演。学校関係者も驚くほど、学生は福島の子どもたちの現状に真剣に耳を傾けていたという。
(写真=U.g. Kanekoさん提供)
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